ミュージシャンのお墓
世界恩人巡礼大写真館 【English Version】
ワールド・ミュージック コーナー
※ソウル、カントリー、フォーク、ブルースを含む
★25名
★ボブ・マーリィ/Robert Nesta Marley 1945.2.6-1981.5.11 レゲエ・ミュージシャン(ジャマイカ、ナイン・マイルズ 36歳)2001
Bob Marley Mausoleum, Nine Mile, Jamaica
※"レゲエ"という言葉自体は、ジャマイカ英語の"レゲレゲ"(抗議する)からきている。1968年にトゥーツ&ザ・メータルズが『ドゥ・ザ・レゲエ』をヒットさせたことで定着した。 ンチャッ、ンチャッと裏拍ではねるギター、地を這うメロディックなベース、そして渇いた音のドラム。そこへ社会改革を訴える歌詞を乗せたのがレゲエだ。過激な歌詞の内容とは裏腹に、ゆっくりとしたレゲエのリズムは、まるで心臓の鼓動のように身体の芯に響く。"レゲエはメロディーが単純すぎて10分も聴くと飽きてしまう"、こう思う人に僕は言いたい、"それは10分だからだ"と。2時間ぶっ続けで聴けば、鼓動がリズムと完全に調和してしまい、全身が音楽と一体になる快感から逃れられなくなるハズ!身体の最深部で味わう音楽、それが� �ゲエの魅力だ。 |
(いざボブ・マーリィの墓へ!ド根性爆裂巡礼ルポ)
★ビクトル・ハラ/Victor Jara 1938.9.23-1973.9.16 (チリ、サンチアゴ 34歳)2001 フォーク・シンガー
絶句。軍部に抵抗して虐殺された人々の墓が壁一面に 並んでいた。みんな死亡日がほとんど同じ。むごい… | 大勢の市民に交じってビクトル・ハラも眠っていた。 小さな、小さなコンクリートのお墓だ。どうか安らかに |
「…死体収容所は建物全部が死体であふれていて、事務所までも一杯だ。長い廊下、扉の前、床の上の死体の列。学生たちも死んでいた。そして無数の列の中ほどに、私は夫を見つけた。彼らは1週間でこんなにも変わり果てるような、どんなことを貴方にしたのか?眼は見開かれていた。頭部や顔面の皮膚の恐ろしい裂け目にもかかわらず、いまだに激しく果敢に抵抗しながら前を見つめているように思えた。彼の服はナイフか銃剣で切られたように引き裂かれ、下着はお尻のまわりにボロボロになってぶら下がっている。胸は最もひどく、穴だらけでパックリと傷口が開いていた。そして彼の手は…手首が異様な角度で、腕からぶら下がっていた。…それがビクトル、私の夫、私が愛した人であった」(ビクトル・ハラ夫人の手記から� � 9月11日は米国人にとって特別な日だ。しかし、南米の人々にとって9月11日は1973年の悲劇を思い起こさせる。その日、チリでは米国から約300億円の軍資金と数千名のCIA工作員という圧倒的支援を受けたピノチェト将軍が、陸海空軍を率いてクーデターを起こしたのだ。歌手のビクトル・ハラは抗議の意味を込めて軍事政権への抵抗歌を歌っていたが、軍部に反抗した7千人もの市民(国際赤十字推計)と共にスタジアムに連行された。拷問や処刑が始まると、ハラは皆を励ますためギターをとり人民連合のテーマ曲『ベンセレーモス(勝利するぞ)』を歌って抵抗した。軍人たちは怒ってギターを取り上げた。 ピノチェトの軍事独裁政府は全ての政党を非合法化し、その後も徹底した反乱者狩りと裁判抜きの処刑を行ない、国際人権団体アムネスティの調査で4万人が虐殺、10万人が逮捕及び拷問された事実が判明している。そして最終的にチリ全人口の5分の1が亡命するという異常事態になった。これらすべてが、米政府による右派援助のたまものだ。 |
(ビクトル・ハラの巡礼ルポ)
★アストル・ピアソラ/Astor Piazzolla 1921.3.11-1992.7.4 タンゴ奏者・作曲家(アルゼンチン、ブエノスアイレス郊外 71歳)2001
誰がボブmarleys音楽を盗んだCementerio Jardin de Paz, Buenos Aires, Argentina
ピアソラの墓には花が一本もない。っていうか、長く誰も訪れた 形跡がなかった。白い綺麗な墓に見えるけど、これは僕が 掃除したから。最初は泥んこだった!ごっつい寂しかった…。 | どの墓も同じ形で探すのが大変だった。すぐ側まで来てる ハズなのに、なかなか会えないもどかしさったらもう! |
タンゴの革命児アストル・ピアソラ。彼はそれまで踊りの伴奏音楽としか見られていなかったタンゴ音楽を、コンサートで鑑賞するに値する芸術作品に昇華させた作曲家兼ミュージシャンだ。激情がほとばしる、エネルギッシュなピアソラの楽曲にシビレまくった僕は、ずっと彼への墓参を夢見ていた。しかし、アルゼンチンはあまりに遠い。日本のちょうど裏側だ(ということは一番遠い国ッ!)。意を決して巡礼を敢行したのは01年3月。大阪からのフライト時間は30時間という、悟りの道に入ったような空の旅だった。ブエノスアイレスに着いてからも一難去ってまた一難!(その辺の事情は下記の巡礼ルポに記した) ようやくたどり着いた墓には、彼の功績を讃える碑文も、バンドネオンの絵も何も彫られてなかった。60X40cm の小さな墓だ。愚直なまでにタンゴに殉じたピアソラの生き様を墓に見た気がした。 『立ち止まることは精神の腐敗を招く』(アストル・ピアソラ) |
(ピアソラの巡礼ルポ)
★ビオレータ・パラ/Violeta Parra 1917.10.4-1967.2.5 フォーク・シンガー(チリ、サンチアゴ 49歳)2000
1967年2月5日早朝、ビオレータはギターを胸に抱き、右のこめかみへピストルの弾丸を撃ち込んだ。49歳の彼女は独りで逝った。原因は、社会変革の戦いに疲れ果てたことと、失恋の深いダメージだった。どちらの理由も、情熱的で真直ぐな彼女の性格ゆえだ。 |
(ビオレータ・パラの巡礼ルポ)
★エディット・ピアフ/Edith Piaf 1915.12.19-1963.10.11 (フランス、パリ 47歳)2002&05&09 シャンソン歌手
夕陽に照らされたピアフの墓。道を挟んで画家モジリアニの墓がある
本名エディット・ジョヴァンナ・ガシオン。フランスのシャンソン界を代表する歌手エデッィト・ピアフ。彼女の人生は波乱に満ちていた。母親は薬物中毒で死亡、大道芸人の父親とフランス各地を放浪した後、15歳から安酒場で歌い始める。17歳で出産。20歳のときにパリの街角で歌っているところをキャバレー支配人に見出され、人生に裏打ちされた気迫に満ちた歌声でいっきにスターダムを駆け上がる。ところが、その恩人の支配人が何者かに殺され、殺人の嫌疑を受け2年間の沈黙。22歳で再デビューを果たし、順調に活躍していたが、30代半ばから4度の自動車事故にみまわれ、痛み止め用のモルヒネ中毒になる。さらにアルコール中毒も重なり、7度に渡る手術や自殺未遂を経験し、47歳で亡くなった。 ピアフの代名詞とも言える名 歌「愛の讃歌」は、彼女が34歳の時に、飛行機事故で亡くなった恋人を想って作ったもの。この曲はフランス国内にとどまらず、世界中で現在も愛聴されている。 |
●愛の讃歌(これほど激しい愛の歌は他にないだろう!) ♪たとえ空が落ちても大地が足元で裂けても あなたの愛があれば良いの |
墓石の上には彼女の写真が!
★イヴ・モンタン/Yves Montand 1921.10.13-1991.11.9 シャンソン歌手(パリ、ペール・ラシェーズ 70歳)2002
Cimetiere du Pere Lachaise, Paris, France
誰が虎の歌目を歌う
男性的かつ甘い声を持っていたイブ・モンタン(本名イーボ・リービ)は、戦前にファシスト政権を逃れてイタリアからフランスへ移住し、トラック運転手や工場労働者を経た後に、美声を生かして歌い始めた。やがてエディット・ピアフに見出され、シャンソン歌手として大成功を収める。名歌『枯葉』は3分22秒の短い曲だが、映画数本分に匹敵する人生を感じさせる傑作で、世界的なスタンダード・ナンバーとなった! 彼はまた、映画俳優としても素晴らしい演技を見せている。代表作は『恐怖の報酬』と『Z』。どちらもシリアスな社会派作品だ。特に『Z』はギリシャの軍事独裁政府を糾弾した作品で、当のギリシャでは公開中止になった問題作。女優シモーヌ・シニョレと結婚し2人は同じ墓に入っている。 |
●枯葉(この曲はメロディーの宝庫!すごい密度で曲が展開する) ♪ああ 覚えていてほしい 幸せだった日々を 2人は仲が良くあのころ人生は美しかった 陽はもっと暑かった |
★カルロス・ガルデル/Carlos Gardel 1890.12.11-1935.6.24 タンゴ歌手(アルゼンチン、ブエノスアイレス 44歳)2001
世界最初のタンゴ歌手。『喉に涙を持つ男』『ガルデルの前にガルデルなく、ガルデルの後にガルデルなし』とまで言われている。涙を溜めたように震えるあの声は、確かに一度耳にすると忘れられない。1917年、彼が30歳の時に歌った"我が悲しみの夜"が、それまで音楽のみだったタンゴに歌をのせた第一号となった。そのカリスマ的人気は、かのクラーク・ゲーブルが「俺もガルデルくらい歌が上手くて人気があれば…」と思わず漏らしたほど。 彼は作詞作曲にも素晴らしい才能を持ち、数々の名曲を残している(映画"セント・オブ・ウーマン"でA・パチーノが踊っている曲もそう)。47歳の円熟期に飛行機事故で逝ったことが、ますますガルデルを伝説化した。彼の墓には銅像が建ち、死後70年近く経った今もたくさんの花束� �囲まれていた。 僕が墓参している時、一台の白い乗用車がやって来た(写真参照)。乗っていたのは60歳位の白髪の紳士。墓の手前で車から降りたかと思うと、一輪のカーネーションをガルデル像の足元に置き、しばしその顔を見つめた後、再び走り去った。この間、約1分。あまりに粋な光景に僕は固まってしまった。あの男性にとっては、日常生活の一部にガルデルの墓参が含まれているようだった。こういう人たちの存在が、墓に温かさを感じさせているのだ。 ※読者の方から、コロンビアのメデジンにあるサン・ペドロ墓地にもガルデルの墓が建っていると教えて頂きました! |
★成田 雲竹/Untiku Narita 1888.1.15-1974 (青森県、青森市、三内霊園 85歳)2000 民謡歌手
成田雲竹は日本民謡協会から初代の名人位を授与された"唄の神様"。弟子の数はなんと6000人。1950年、雲竹が62歳の時、伴奏者に40歳の初代高橋竹山を指名、この最強タッグは15年に渡って津軽民謡の黄金時代を築くことになる。墓石は巨大な黒石で、大地からドーンと天へそそり立っていた。 |
●ブルース
★W.C.ハンディ/W.C.Handy 1873.11.16-1958.3.28 (NY、ブロンクス 84歳)2000
Woodlawn Cemetery, Bronx, Bronx County, New York, USA
作曲家、バンドリーダー、ピアノ奏者。世界で初めてブルースの楽譜を出版したことから、彼は『ブルースの父』と呼ばれている。 W.C.ハンディことウィリアム・クリストファー・ハンディは、1873年に南部アラバマ州で牧師の子として生まれた。彼は子どもの頃から賛美歌に親しみ、また毎日のようにオルガンで演奏し深く音楽に傾倒してゆく。20代に入ると友人らとブラスバンドを結成し、南部を半ば放浪しながら演奏活動を続けた。 1903年(30歳)、そんな旅回りのある日、ハンディがミシシッピ州タトワイラーの駅で9時間遅れの列車を待っていた時のこと。彼がベンチでウトウトしていると、みすぼらしい黒人のギター弾きが隣に座り、ポケット・ナイフを弦に当ててスライドさせながら"今まで聴いたなかで最も風変わりな音楽"を奏で、歌い始めた。ハンディは神の啓示を受けたように新しい音楽、ボトルネックの音色の誕生を予感したという(この時はまだ� ��ルースという呼び名は存在していない)。 誰が歌う女性の愛 ブルースは黒人労働者の労働歌(ワークソング)や黒人霊歌から生まれたもの。南部の黒人達は日々の生活の辛さや嘆きを、歌で吐き出していた。しかし誰もこれを楽譜に書き写した者はいなかったので、ハンディは巡業先で出合った黒人達の歌を地道に楽譜に起こしていった。1912年(39歳)、ハンディは長年集めた歌が元になった曲『メンフィス・ブルース』を発表する。そしてこの曲を楽譜として出版したことで、従来からあったブルースが、改めて「ブルース」として人々に認識されるようになった。 1914年、41歳で発表した代表曲『セントルイス・ブルース』は、"米国第二の国歌"と言われるほど大ヒットとなり、ストラヴィンスキー、ガーシュインら同時代の多くの作曲家に影響を与えた。※ハンディは旅回りの途中にセントルイスでついに無一文となり、施しを受けつつ橋の下で暮らしていたという。この最も辛かった時代を歌の題名に冠した。 ハンディは70歳の時に事故で失明したが、それからも点字の楽譜を使用しながら音楽活動を続行する。最晩年、ルイ・アームストロング(ジャズ)とレナード・バーンスタイン(クラシック)というジャンルの違う2人が同じ舞台で『セントルイス・ブルース』を演奏しているのを聞いて、83歳のハンディは思わず落涙した。 ※ガーシュインは『セントルイス・ブルース』を参考に『ラプソディ・イン・ブルー』『ポーギーとベス』を作曲したと語っている。 |
★ロバート・ジョンソン/Robert Johnson 1911.5.8-1938.8.16 (USA、ミシシッピ州 27歳)2009
Little Zion Cemetery, Leflore County, Mississippi, USA
南部ミシシッピの夕焼け | 見渡す限りのコットン畑 | 墓地の近くのクロスロード。R.ジョンソンは 真夜中の十字路で悪魔と取引をしたという |
ブルースの父ロバート・ジョンソンは、人妻に手を出してその夫に毒殺された。享年27歳。
★レモン・ジェファーソン/Lemon Jefferson 1893.9-1929.12 (USA、テキサス州 36歳)2009
Wortham Black Cemetery, Wortham, Freestone County, Texas /Highway 14
戦前のブルースマン。36歳の若さで、真冬の駅で凍死した。南部の古い黒人専用の墓地に眠る。
★ベッシー・スミス/Bessie Smith 1895.4.15−1937.9.26 (USA、ペンシルバニア州 42歳)2009
ブルースの女帝。黒人女性シンガーのルーツ。自動車事故にあい42歳で他界した。
★スティーヴィー・レイ・ヴォーン/Stevie Ray Vaughan 1954.10.3-1990.8.27 (USA、テキサス州ダラス 35歳)2009
Laurel Land Memorial Park, Dallas, Dallas County, Texas, USA Plot:Vaughan Estates
ブルースギターで人気を誇ったがツアー中にヘリコプターが墜落し他界した。
★マイク・ブルームフィールド/Mike Bloomfield 1943.7.28-1981.2.15 (USA、カリフォルニア州ロス 37歳)2009
60年代ブルース・ロックの雄。ヘロイン中毒になりサンフランシスコの駐車場にて車内で意識不明に。そのまま帰らぬ人となった。
★ウディ・ガスリー/Woodrow Wilson "Woody" Guthrie 1912.7.14-1967.10.3 (USA、ニューヨーク州 55歳)2009
Ashes scattered at sea off Coney Island, Brooklyn, NY, USA
ボブ・ディランも崇拝するフォークの神様。ウディ・ガスリーの遺灰はブルックリンのコニーアイランドの沖合いに撒かれた。
※オクラホマ・オケマーのHighland Cemeteryにも墓があるらしい。
★ジョン・デンバー/John Denver 1943.12.31-1997.10.12 (USA、コロラド州 53歳)2009
『カントリーロード(故郷に帰りたい)』が大ヒット。遺灰はこのコロラド州のロッキー山脈に撒かれた。
★ジム・クロウチ/Jim Croce 1943.1.10−1973.9.20 (USA、ペンシルバニア州 30歳)2009
Haym Saloman Memorial Park, Frazer, Chester County, Pennsylvania, /Plot: Section B/B /200 Moores Road
フォーク・ミュージシャン。飛行機が離陸に失敗して死去。まだ30歳だった。
●カントリー
★ハンク・ウィリアムス/Hank Williams 1923.9.17−1953.1.1 (USA、アラバマ州モントゴメリー 29歳)2009
カントリー音楽の神様。元旦にアルコール中毒で他界した。まだ29歳だった。
★ジョニー・キャッシュ/Johnny Cash 1932.2.26-2003.9.12 (USA、テネシー州 71歳)2009
Hendersonville Memory Gardens, Hendersonville, Sumner County, Tennessee, USA /353 E Main St
●ソウル
★マービン・ゲイ/Marvin Gaye 1939.4.2-1984.4.1 ソウル・シンガー (USA、太平洋 44歳)2009
Ashes scattered in the Pacific Ocean
説教師の父の影響で、子供の頃から教会でゴスペルを歌っていたマービン・ゲイ。ソウル・シンガーとなった当初の彼は、他のシンガーと同様に甘々のラブソングを歌っていたが、1971年(32歳)、正面から社会問題をテーマにした、ソウル史上の金字塔『ホワッツ・ゴーイング・オン』を発表する。このアルバムには黒人層の貧困、ベトナム戦争、公害などを取上げており、音楽界に一大センセーションを巻き起こした。45歳の誕生日の前日、彼は訪れた両親の家で父親と口論になり撃ち殺されるという、非業の死を遂げている。 |
●ホワッツ・ゴーイング・オン ♪母さん、なんて多くのものが涙の雨を降らせるんだ |
★サム・クック/Sam Cooke 1931.1.22-1964.12.11 (USA、ロサンゼルス 33歳)2000 ソウル・シンガー
Forest Lawn Memorial Park (Glendale), Glendale, Los Angeles County, California, USA Plot: Garden of Honor, right side
"ソウル・ミュージックの父"サム・クック。1950年代に活躍したゴスペル界初のティーン・アイドルで、ソウルシンガーの草分け的存在だ。クックに影響を受けてないソウルシンガーはおらず、あのオーティス・レディングも自らが敬愛しているシンガーとして、真っ先に彼の名前をあげている。活動の絶頂期にあった33歳の時に、安モーテルの支配人で黒人中年女性バーサ・フランクリンに射殺される。真相は不明だが、同宿していた女性を追いかけてて、フロントで撃ち殺されたようだ。 |
★オーティス・レディング/Otis Redding 1941.9.9-1967.12.10 (USA、ジョージア州 26歳)2009
The Big O Ranch , Round Oak, Jones County, Georgia, USA
墓所のあるレディング家の農場はあまりに広く、門からは墓まで見えず…。泣く泣く、門の外から両手を合わせて遙拝。
海外サイトに墓の画像があったので、何か墓参する方法があると思うんだけど…。とにもかくにも、可能な限り墓所に最接近した。
★ダニー・ハサウェイ/Donny Hathaway 1945.10.1−1979.1.13 (USA、ミズーリ州 33歳)2009
更新中。社会問題も歌い込んだソウル・シンガー。NYのエセックス・ハウス・ホテルの15階から飛び降り命を絶った。
★レイ・チャールズ/Ray Charles Robinson 1930.9.23-2004.6.10 (USA、カリフォルニア州ロス 73歳)2009
Inglewood Park Cemetery, Inglewood, Los Angeles County, California, USA Plot: Mausoleum of the Golden West
更新中。ソウルの神様で盲目のピアニスト。『わが心のジョージア』がミリオン級の大ヒットを記録した。
★八橋検校/Yatsuhashi-Kengyo 慶長19年(1614年)-貞享2年6月12日(1685年7月13日) (京都府、左京区、金戒光明寺 71歳)2010
江戸時代前期の音楽家。近代箏曲(そうきょく)の父。筝曲八橋流の開祖。幼名は城秀。現・福島県いわき市出身。子どもの頃に失明し、盲人が運営する組織「当道座」に加入する。10歳頃から大阪で三味線の腕を磨き、名声を得ていった。高い向上心を持つ八橋は、若くして江戸に出て筑紫流箏曲を学び、さらには遠く長崎の諌早まで足を運び、筑紫筝の名手に師事して奥義を極め秘曲を授かった。1636年(22歳)に初上洛。当道座の官位には、上から、検校、別当、勾当、座頭があり、上洛の折りに勾当の位を得た。八橋は磐城平(いわきたいら)藩の藩主・内藤義概の支援を受けて修行を積み、3年後の再上洛の際には25歳にして盲官の最高位"検校(けんぎょう)"に任ぜられた。 ※検校になるには箏曲、地歌三弦、平曲等の卓越した演奏技術と作曲能力が必要で、また鍼灸や按摩も習得しなければならなかった。
1648年(34歳)頃から独奏楽器としての筝の可能性を開拓するべく、従来の筝曲の改革に乗り出した。八橋は新たに組歌『雲井の曲』、『菜蕗(ふき)』、『梅が枝』、『心尽し』など八橋十三組(組歌十三曲)を創作。そして、陰音階の調弦法を生み出して調子を定め、歌のない純器楽曲(段物)『六段の調』、『乱(みだれ)』、『八段の調』を作曲して楽式の定型化を進め、近世筝曲の基礎を築いた。中でも『六段の調』は後世に「六段に始まり六段に終わる」と言われるほど箏曲の代名詞となる。 1663年(49歳)頃から京都で暮らし、多数の弟子を指導しなら筝曲の普及に努めた。1685年に71年の人生を閉じ、門弟たちが金戒光明寺の塔頭・常光院に葬った。法名は鏡覚院殿円応順心居士。胡弓の名手でもあった。 ちなみに肉桂(ニッキ)の香りがする京銘菓「八ツ橋」は八橋検校に由来した米生地の和菓子。八橋検校の死後、師匠を偲んで門弟達が箏の形の菓子を配ったのが八ツ橋の始まりといわれ、業界では毎年墓前で追善法要をしている。 ●YouTube『六段の調べ』(7分2秒) |
【番外編〜我、発見デキズ…情報求ム!】
★ジェイムズ・ブラウン/James Joseph Brown, Jr. 1933.5.3-2006.12.25 (USA、サウスカロライナ州 73歳)2009
Thomas Family Home Crypt(?), Beech Island, Aiken County, South Carolina, USA
ジェームス・ブラウン、死因は心臓発作ではなく殺された!? by AOL Music Staff (SH) (2011年9月19日 4時00分) ジェームス・ブラウンの広報担当の女性、ジャック・ホランダーが、実はJBは心臓発作ではなく殺されたのだとして、調査のため私立探偵を雇っているという。 【James Brown's body is 'missing from its crypt', alleges singer's daughter】 JBは娘の家の地下に埋葬されているはずが、娘はその遺体がなくなっていると騒いでいる(英文リンク)。 |
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